先日、久しぶりに佐野源左衛門常世の墓地を訪れてきました。佐野市の史跡に指定されている文化財です。佐野源左衛門常世は、歴史的にみると謎の多い人物なので、いつの間にか伝説上の人物になってしまったのでしょうか。講談や謡曲に取り上げていなければ、もしかしたら佐野家の一人として特別視されず、分家の中に人知れず位置づけされていたかもしれません。そんな人物の墓地が願成寺にあり、佐野市の文化財に指定されています。
真ん中の宝篋印塔が源左衛門常世の墓石として位置付けられています。様式的には南北朝前期なので、常世が生きていたとされる時代より100年ほど後出のものです。また、言い伝えによると左手にある板碑は母親の墓石とされるもので、阿弥陀三尊のキリークが確認できます。私自身は読み取れていないのですが、正和四(1315)年の年号が記されていたとの記録があります。右側が大きく損傷していますが、元々はかなり大型で市内でも幅は最大級の板碑であった可能性があります。さらに、右手にある石造物についてですが、これが大変興味深いものです。円柱状の石造物で首部がありますので、宝塔ではないかと考えられます。凝灰岩製で年代もありそうです。宝塔そのものの類例を私は佐野市内で他に知りません。大変貴重な歴史的資料と言えそうです。この宝塔は、常世の妹の墓石との言い伝えがありますが、妹さんは宝塔が立つほどの人物だったのでしょうか。それが明らかにできたら、それはそれですごいことです。墓地内の三種の石造物では、個人的には妹さんの墓石とされるものが最も興味があり、文化財的にも重要視しています。ちなみに、この地の見学は秋になってからがお薦めです。