一度だけの出逢いでも記憶にしっかり残る人たちがいます。谷川俊太郎さんもそうでした。私の同僚が直接ご本人に手紙で講演を依頼し来佐が実現したのです。上司たちに谷川俊太郎さんが来てくれるといってもピンとこなかったらしく反応はイマイチ。私は、たったひとりで館林駅まで迎えに行き、講演後電車の時間まで喫茶店でお茶を飲めたという幸運に恵まれました。谷川さんは、真空管ラジオにかなり凝っていた時期があったらしく、楽しそうに語っていた姿が忘れられません。会いたくて、会いたくて、ようやく会えた方たちが亡くなっていきます。灰谷健次郎さんも石牟礼道子さんもそうでした。でも、その方たちとの時間は私のなかで今も生きています。先日、新聞に掲載された「感謝」の詩は、谷川さんの遺言のような気がしていました。やはりそうでしたか。ご冥福を。
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