中国の史料には、紀元4世紀に多彩な鯉の記録がすでに載っているそうです。犬を愛玩する文化はこれより遥かに遡りますが、人間はいろんな生き物を古くからペット可してきたようです。これも人間が作り出した文化的所産でしょうか。
唐沢山を登って食い違い虎口を中に入り、本丸に向かって大手道を歩き始まるとすぐ左手に「大炊の井戸」があります。古くは「大井」だったのが、後の時代になって誰かが付けたのでしょうね。本当は、なるべく歴史的に根拠のある呼び方で伝えていきたいものです。
大井の規模は全国屈指で、今日まで水もたっぷりと蓄えられています。これなら、籠城戦になってもかなりの期間水で困ることはなかったでしょう。今は、その中で鯉の子どもたちがたくさん泳いでいます。戦国の世ならあり得ないことです。